バッハ・イン・ザ・サブウェイズ

ピアノメインの音楽関係

3月21日は、バッハの誕生日らしい。

このバッハの誕生日前後に、日本も含め世界中でバッハ・イン・ザ・サブウェイズという催しが行われているらしく、県内でも行われるということで案内をいただいたので、行ってみた。

このイベントの要旨としては、バッハの作品を街角で演奏し、バッハを始めとしたクラシック音楽に興味を持ってもらおうという事のようだ。もともとは一人のチェリストがニューヨークの地下鉄構内で始めたことからイン・ザ・サブウェイという名前になっているらしいが、演奏場所は地下鉄に限らず、街ゆく人たちが広く無料で聴くことができる場所なら、どこでも良いみたいだ。で、私の居る県内では駅の自由通路で行われた。

コロナ禍でも開放空間での演奏なら特に問題なかったと思うが、屋根はついていても風は吹くので寒かった。まぁ、ほんとの吹きっさらしよりはかなりマシだと思うが、演奏する方たちも大変だったろう。

その演奏する方たちも、総勢で30名近くいらっしゃって、プログラムも30番くらいあり、かなり大規模なコンサートだと思ったが、これでもコロナ禍だから数を減らしたそうだ。いつもなら倍くらいの人が演奏するらしい・・・こんなに大規模なコンサートなのに、自分は存在すら知らなかった。。

内容も、ピアノやオルガンは言わずもがな、フルートやバイオリン、チェロに歌、はたまたリコーダーやオカリナ、さらにはリュートやバグパイプ、そして珍しい楽器であるらしいヴィオラ・ダ・ガンバという、チェロの古楽器もあるなど、非常にバラエティに富んだラインナップ。私は、リュートとかバグパイプとかガンバ(存在すら知らなかった)とかは生演奏を聴いたのは初めてだったので、興味深かった。

演奏なさった方たちは、音楽を生業の方たちも少しいたようだったが、多くの人たちは、素人のいわゆる愛好家の方々との事。会を主催なさっている先生曰く、練習不足なんだけどね、との話。ま、年齢層も高めな愛好家の方たちだし、演奏のレベルは言わずもがな感じだし、人数も多いから全員集まるのも大変だろうし、仕方がないと思う。

それでも、バッハを練習して人に聴いてもらおう、という事を考えるだけでもすごいのに、本当に人前で演奏しちゃうんだから、素直に尊敬した。いや、嫌みでもなんでもなく、本当にすごいと思った。私は、人前でバッハを弾くことを想像するのも恐ろしいし、ましてや演奏するなど、おしっこちびるの間違いなし。主催の先生に、飛び入りで演奏して!などと社交辞令をいただいたのだが、そもそも弾けないし、丁重にお断りする。最後の合唱だけでもどう?とも言っていただいたが、それも丁重にご辞退。だって、バッハなんて、、無理。

ピアノを習っていたりすると、バッハって、とても敷居が高い。音楽の感じがそもそも違うし、バッハを弾くまでにはある程度ピアノを習っている訳だけど、それまでのピアノの弾き方と違いすぎて、慣れるまでにかなりの時間を要するのがバッハ。2声のインベンションという、ピアノをやっていれば全員が弾くであろうバッハにしては易しい部類の曲集も、実際は易しくなく難しいので、だいたいの人は全部やる前にピアノ自体を辞めるのが一般的なのだ。

そして、バッハを弾く際には、決意というか精神統一というか、他の曲にはない、何か得体の知れない大きなものが必要で、ちょっとそこらでバッハを弾く、なんて事は考えられないというか、先生に怒られそうというか、そんなイメージもある。

そしてバッハは暗譜も難しい。つか、私はできない。多くの人たちも苦労するのが普通だと思う。さらに、バッハは常に時間が流れているというか、小休止ポイントとかもそんなに無いので、人前で演奏して暗譜が一瞬でも飛んでしまったら、その後の回復が困難なのだ。ミスして何度も弾きなおした挙句、回復せぬまま演奏を中断する大事故なども起きやすいので、発表会などでもバッハを弾くのは、よほどじゃないと先生に止められる。

それほどまでに、バッハを弾くと言うことはオオゴトなのだ。

・・・なんだけど、バッハインザサブウェイズを聴きに行って衝撃を受けた。

普通に演奏が上手だったのは数名だけで、後の愛好家の方たちは、良く言えば自由奔放、素直に表現すれば、人前で演奏できるレベルでは無かった。ミスしたり止まってしまったり演奏しなおしたりは普通で、音程がずれていたりリズムがずれていたり、チューニングが合ってなかったりで、一般的に言えば聴くのに努力が要るレベル。不協和音とバタバタ具合で、頭の中に紫禁城が浮かんできてみたり、はたまた現代音楽を聴いている気分になるくらいだった。

でも、というか、それなのに、というか、なぜか音楽としては成立している。ちゃんとしたバッハの演奏では無いかも知れないが、音楽にはなっている。ほんと、不思議。多少音が外れても、装飾音符か?と思うし、不協和音も、現在の調に別な調のフレーズが乗っかったりするのはバッハでは珍しくないので、こんな音楽なのかと思っちゃうし、弾きなおしとかも、これまたそういう構造の曲なのかと思ったりしてしまうのだ。そして、常に時間が流れ続けているバッハなので、無音でもない限り、音楽は常に進行している。間違っても音が外れても、音楽なのだ!

このことを何気なく主催の先生に申し上げたら(つか、我ながら失礼だなw)、先生曰く「バッハは音楽構造がしっかりしているので、何が起こっても音楽が成立するのよ」との事だった。だから、素人であってもレベルが低くても、はたまた初心者であったとしても、バッハを楽しむことができると言うのだ。

ほんと、目からうろこ。

先述の通り、バッハは生半可な気持ちで演奏してはいけないものだとずっと思ってきてたので、そんなんじゃなく、もっと気軽に、誰でも演奏してもいいんだ、そういうものなのだと考えを改めた。先日、テレビでバッハの音楽番組を観た際、難しい宗教音楽などだけじゃなく、バッハが入りびたっていた酒場で素人相手の気軽な歌曲なども多数作曲していることを知ったのだが、それを考えると、こういう心もとないレベルの演奏でも、いいのだと思う。

もっと気軽に、誰でも、どんなレベルでも、バッハを楽しむ機会が、もしかしたら増えていくかも知れない、と思ったし、自分も基礎練習にバッハを取り入れ始めたところで、弾けなくて消沈していたのだが、もっと楽観的な気分でバッハを練習しようと思う。

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