その8の続き
ババァの指導のうち、参考になったこともあった。
まず、小節の頭の最初の音だけ両手で弾く練習。
これは、右手と左手をちゃんと合わせるためだけの練習とのこと。
「小節の頭で両手がきっちり合えば、ちゃんと聞こえる。」
「両手をぴったり合わせる練習というのは、なかなかやらないもんだから意識すること」
具体的には、右手は小節の頭から一拍くらいのフレーズを弾く。そして左手の伴奏は、最初の和声音を和音で弾く。それを両手で合わせて繰り返し練習。旋律を歌いながら、一曲通して各小節の頭の一拍分だけ、両手でぴっちり合わせる意識。
(確かに、合わせるためのピンポイント練習は、やったこと無かったから、今でも時々思い出す)
次に、速いテンポで弾かなくても、速く聞こえるように弾くこと。
「フレーズ内で、音量の山を作る。上行の時は少しクレッシェンド、下行の時は少しディミニュエンドする。テンポも、頂点に向かっていくときは急ぎ気味に。こうした揺らぎを作ると、聴いてる方にも流れが生まれて、そんなに速いテンポでなくとも速いように錯覚する」
そして、和声に応じてデュナーミク(音量)を変えること。
「和声で、ドミナント(属音)に相当する部分は、おもいっきり誇張するくらいが伝わりやすい。常に和声を頭に入れて弾くこと」
(知っては居たが・・・・しかしこれは、程度というものがあろう)
これらの指導は、時々必要に応じて思い出し、参考にしたりすることも無くも無い(←どっちだw)
でも、参考になったのは、このくらい。
後は圧倒的に、反面教師材料と、誹謗中傷罵詈雑言ともいうべきトラウマ材料がほとんどだった。
基本的に自分の場合、疑問に思ったことは、一応質問してみるというスタンス。
納得できないことはできないし、ただやみくもにトライアンドエラーを繰り返すより、ちゃんと理詰めで考えてから行動する方が、効率的だと思っているから。
で、ババァに対しても、最初のうちは、ちゃんと質問をさせてもらってた。
ババァも、「何でも言って。言ってくれた方が対処もしやすいし、成長するし」などと言ってたから・・・でも、人間、言ってることとやってることと現実の間に齟齬があることなど、普通のことらしい。
ババァは、暇さえあれば「脱力!」「脱力できてない!」「手首が固い!」と言い続けた。
脱力ができてないと、ピアノを弾いている時に上から手の甲を押さえても、グニャっとならないとの事らしく、時折、不意打ちのように、手の甲を上から押された。
ババァ曰く「上から押されたら、手がグニャっとなって鍵盤上にくずおれるのが正しい!」らしい。
で、ババァ、私の手の甲を、ババァの指で下に押しながら
「ほら、脱力できてないから、手首がグニャっと下がらない!」「力が入ってる!」「力抜け!」
自分「脱力と言っても、腕や手首を支える筋肉は使いますよね? じゃないと鍵盤から手が無くなっちゃうし」
「脱力は、鍵盤を弾いてから、手首から先で行うものじゃないですか? 腕から手首の付け根までは力を使って持ち上げたままなので、手の甲を押されても、指も腕も手首や肩に吊られた状態なので、下に行かないと思います・・・」
ババァ「そんな理屈、ごちゃごちゃ並べても知らん!」
「あたしは、こうやって習ってきたし、今でも先生についてレッスン受けてるんだぞ!」
「ど素人のあんたの話より、専門の先生の言う事の方が、正しいに決まっとろーが!!」
「これだから大人は・・・・つーか、大人の問題じゃないな。個人の性格の問題か」
「性格は直せなくても、ピアノの弾き方は直せ!」
いつもババァは、こんな風に、「正しい」とか「正しくない」とか「間違ってる」とかが口癖のようだった。何かにつけて、黒と白、オンとオフ、正と誤で分類したがった。ある意味、竹を割ったような?性格なのかも知れないが、その判断の際に、理屈も根拠も医学も科学も入っている感じがせず、物事というものは、自分が経験したことがすべてで、それ以外は間違っている!と考えるタイプだったのかも知れない。
私はもう、ババァに対して、何かを言う気力も何も無くなっていた。
もはや、ババァに何かを言われても、無言でうなづく程度の反応しかできなくなっていたのだ・・・
つづく
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