以前、事実上の日本最北端である、稚内という所に住んでいた ことがあった。仕事の関係で行く事になったのだが、いくら北海道の街であっても、 多くの道産子にとっては稚内は遠いので、よっぽどの用事でも無い限り滅多にいく場所ではない。
稚内市は人口約4万3千人(2004年当時)、旭川以北では最大の都市で、札幌から 特急が走り、空港もある、道北の中心都市である。また、利尻礼文へ の玄関口でもあり、最果ての地でもあり、漁業が主要産業であるために海産物も 安くて美味しいため、観光地としても大変な人気があるらしい。
しかし、道北の中心都市であっても稚内市は面積が広く、市の中心部から市域 の端っこまでは40kmほどもあって、中心部以外にもあちこちに集落が 存在しており、私が住む事になったところも、例によって田舎であった。
赴任が決まったのは突然であった。それまで実家で暮らしていた私は、 家財道具もろくに持ち合わせておらず、テレビとビデオとコンポ(死語?)と布団、 それに当面の衣類といった、車に入るだけの身の回りのものを携えただけで 取り敢えず引越をしなければならなかった。頃は初冬、引越をした日は 風速40mを記録した暴風の日で、まるでこれからの私の生活を暗示 しているかの様でもあった。
さしあたり最低限の家財道具をそろえなければ生活できない。冷蔵庫と 洗濯機は実家の方で手配して送ってもらうことになったのだが、届くのは 2週間後。取り敢えず、暖房と電子レンジ、ホットプレート、ガスレンジ 、日用品などを買い求め、電話線の手配をする。しかし、ご存知ない方も 多いと思うが、田舎すぎるところでは電話工事の日が決まっており、 いつでも電話が開通するわけでは無い。電話の開通予定日は、なんと 一ヵ月後となってしまった。
私はそれまで長電話の鬼と言われ、最長8時間電話でしゃべって いた記録も持ち合わせているくらい、電話無しでは生きていけない性質 であったので、友達はおろか、知り合いさえ唯の一人もいない見知らぬ 土地で電話なしの生活など耐えられない。携帯電話もあったのだが、 田舎過ぎるために電波状態が酷く、1分と、まともに会話することも 出来ないのだ。仕方が無いから最寄の公衆電話である、10kmほど離れた となりの地域のローカルコンビニへ電話をかけに行くのだが、その公衆電話はボックスで はなく、ポストのようなカバーがかかっているだけのモノで、外に設置 されていた。
稚内は台風でも無いのに風速40mを記録することもある くらい、風が普段から強い地域なため、その公衆電話で電話をかけても、 相手には、ボーボーと風の音が聞こえるだけで、私がどんなに叫んでも 言葉は届いてくれず、3分くらいもしたら相手に電話を一方的に切られて しまうのであった。
ガランとした家の中に居ても、風の音がうるさく、玄関の戸や窓ガラスが 大きな音を立てる。電話も無い。冷蔵庫も無いから料理も出来ず、コンビニ 弁当をチンして食べてしまえば、後はなにもすることが無い。そうだ、 テレビをつなごうと思って、アンテナ線にテレビをつないでみても、 何にも映らない。上司に尋ねてみても原因が判らず、電気屋さんに来てもらう ことになったのだが、これまた工事日が決まっており、すぐには来られない との事。
せめて音楽でもとCDをかけてみるのだが、隙間風でカーテンが波打つ くらいの海風が吹き荒れているのであるから、クラシックピアノの曲しか 聴かない私にとっては、とてもじゃないが落ち着いて聴ける状況ではなかった。
職場でも初めてのことばかり。緊張と不安と不満で頭が禿げてしまい そうな程であり、友達も無く、電話も無く、テレビも無く、音楽も聴けず、 聞こえてくるのは、借金取りでもやってきたのかと思うほどドアや窓を 風が叩きつける音、隙間風のヒューと言う音……。裸電球がぶら下がっている だけの薄暗い部屋の中で、使えもしない電話やテレビを眺めながら、外の 轟音を聞いていると、まったく無意識でそんなつもりも無いのに、気がつけば 涙がこぼれているのだ。私はこの時、齢二十二にして、人間は知らず知らずのうちに 泣く事もあるのだと知ったのであった。
時折涙をこぼしながら一ヶ月後、ようやく何とか文明生活ができるように なった。相変わらず職場ではストレスを感じ、友達もいなかったが、 家に帰ってくれば電話をして気を紛らわせたり、テレビをみたり料理を したりして、自分を取り戻す事が出来るようになった。
そして私は、ある事に 気がついた。地元に居ても、都会に居ても、見知らぬ土地でも田舎でも、 家の中の環境は、何処でも一緒なのだと。一日の中で一番多くの時間を 過ごす場所は家なのだ。友達が近くにいたとしても毎日会う訳じゃない、 映画を観たり喫茶店でお茶を飲んだりデパートに行ったりも、毎日 する訳じゃない、家の中さえ快適ならば、何処で暮らしても……たとえ 稚内の田舎であっても同じなのではないか、寂しさを感じるのは、娯楽 を求めたくなる休日だけにすることが出来るはずだ。
こうして私は、給料やボーナスをはたいて、家財道具や趣味のもの、 楽器などをせっせと買い揃え、稚内を離れる時には、独り暮らしであったのに、 4tトラックにいっぱいの荷物を抱えることになるのであった。
こんな稚内生活であったのだが、住めば都。特産の海産物も道東とは 一味違う。中でも驚いたのは、タコだった。それまでタコといえば、 レアに茹でた刺身や酢ダコ、おでん、たこ焼きのタコくらいしか食べた事が 無かったのだが、稚内ではタコの食べ方にバリエーションがあった。 タコザンギ(北海道では唐揚げのことをザンギと言う)や、タコカレー、 タコ飯、そして私の一番のお気に入りはタコシャブであった。
タコは、あっという間に鮮度が落ちて臭くなるので、通常は生の状態で流通 することは少ない。大抵は下処理して茹でたのが売られている。タコの 処理はとても手間がかかる。まずは塩などをたくさん使用して生タコの 表面のぬめりを取るのだが、これが中々簡単には取れない。しかも、 死んだタコは硬直していて、そのまま茹でたら硬くて食べられない ので、このときに棒で叩いてみたり、力を入れて揉みほぐしたりしな ければならない。吸盤のなかにはゴミが入りやすく丁寧に洗わなければ ならない。
茹でも、タコが丸ごと入る大きさの鍋に、まず足先を入れて 綺麗に足をカーブさせてから全体をすっぽり入れて、硬くならない程度 に茹で上げるのだ。とても素人には出来る芸当では無い。タコシャブは、 下処理して茹でる前の大きいタコの足を凍らせて、スライサーで薄切り にしたものが冷凍で売られているのだが、この、超薄切り生タコを、 2秒ほど湯にくぐらせて 食べるタコシャブは、値段も手ごろで美味しく、稚内にいる間は良く 堪能させてもらった。そのお陰なのか今でもタコを見ると、つい稚内の事を 色々思い出してしまう。
火の通し方が、なかなか厄介なタコではあるが、大根と一緒に煮ると とても柔らかくなる。大根にはアミラーゼなどを始め様々な酵素があり、 たんぱく質分解酵素であるプロテアーゼも含まれている。この酵素の 働きで、タコやイカ、肉などのたんぱく質を大変柔らかく調理することが 出来るのであるが、実は酵素は温度に弱く、70度くらいにもなって しまうと全部死んでしまうので、生でないと効果が無いと言われているのだ。
しかし、 大根と煮るとタコが柔らかくなるのは経験から言っても本当である。 しかし、なぜそうなるのかは判らない。長時間煮ると、たとえタコでも 柔らかくはなる。下茹でした(つまり酵素が死んでいる)大根が入る、 おでんのタコが柔らかいのは、長時間煮込む効果と思われる。しかし、 生の大根と煮ると、おでんほど長時間煮込まなくてもタコは柔らかく なる。科学的には証明できないのかも知れないが、伝統文化知恵 経験で証明されているので、良しとしておくことにする。
材料1回分 | ゆでタコ | 足でも頭でも好きな部分を好きなだけぶつ切りに(今回はイイダコを使用) |
大根 | 2分の1本・厚く(5mmほど)皮をむいて3cm厚の半月切りに | |
調味料 | 昆布入りのだし汁(ダシの素でも) ・薄口醤油2・砂糖1・みりん1の割合で好みの味にする ・例によって、めんつゆを、かけうどん汁くらいに薄めて使っても可 | |
作り方 | 1 | タコと大根と昆布5cmを鍋に入れ、出し汁を材料が完全に隠れるくらいタップリ張る |
2 | 火にかけて沸騰してから調味料を入れ、落し蓋(アルミ箔で良い)をして、20分程ごく弱火で煮込む | |
3 | 蓋をして火を消し、そのまま1時間以上、ほったらかして置き、味をしみ込ませて完成 | |
備考 | ・大根は生のまま使う 20分ほど煮て、まだ大根が硬くても火さえ通っていれば、後は余熱で柔らかくなり味もしみ込むが、大根が完全に煮汁に浸かっているように気をつける |
コメント