その16のつづき
チャッキリ先生に言われた練習を、疑問に思いながらも続けた。
でも、仮にこれができるようになったとして、ツェルニー50の20は速い曲だし、チャッキリの指示通りに弾けるわけ無くね?
仮にこの曲を、ツェルニーの指示速度の7割、付点4分音符=70で弾いたとしたら、一秒間に音を7個弾くわけで、チャッキリの指示通りに動かすとすると、一秒間に7回腕を前後に動かすことになるよ?
普通に考えて無理っしょ。
もし、ゆっくりでも身につけば、速く弾いたときにも無意識にそれが実践されて、結果的に意図したように弾けるようになると考えてたとしても、それは精神論であって、非科学的極まりないっしょ。
しかも仮に、現在の練習は導入であって、ゴールは別なところにあるとしたら、それこそ道筋をちゃんと説明して納得させ、常にゴールをイメージしながら練習しないと、意味無くね?
それにそれに、そもそもレッスン開始時の最優先事項として、弾き方を強要しない、ってのを確認した上で入会したのに、初回のレッスンからバリバリ強要全開フルスロットル状態って、どうよ?
せめて、自分はこう考えるけど、どう?くらいの相談はあってしかるべきじゃね?
さらにさらに、最優先事項の一つの、ツェルニーを一刻も早く終わりたい、ってのも了承済みなのに、一週間で8小節だけの練習ってさ、いやいやいや、何考えてんの?? 97小節もある曲なのに、このペースで行ったら、この曲終わるのに12週、約3か月もかかるよ? 一曲に3か月もかかったら、ツェルニー50番あと30曲もあるから、90か月かかることになるよ? 90か月って7年も8年もって事じゃん??
などと、自分の中で疑問が噴出しまくり。練習しててもイライラしてくるし、しかも、練習してもできないし、ぐったり疲れて気力も削がれ、さらにはあちこち痛くなってくる始末に。
それでも、自分が知らないからと言って、自分が納得できないからと言って、自分がやりたくないからと言って、やってみる前から想像だけで結果を出すのは良くない、やってみて試してみて、それから判断するべきだよね・・・と自分に言い聞かせ、練習を続けた。
しかし、練習を始めてから3日目、もう限界が来た。練習後に発生していた手の痛みが、翌日になっても解消せず、日に日にひどくなってきたのだ。
私は腱鞘炎持ちなため、常日頃から意識して暮らしている。手を床に付くときも親指は使わず、何かを握るときにも親指に重心がかからないようにし、包丁を使うときにも親指の負担を減らすため人差し指を刃の背に添え、猫を抱っこする時でさえ、親指に力がかかるのを減らすため手の甲の上に猫を乗せるように頑張っているくらいだ。
でも、チャッキリの練習方法だと、普通に弾けば最小限の力で済むのに、いちいち無駄とも思える動作が発生する。何事も、移動させるのにエネルギーが必要なのは、物理のセオリーでしょ。いちいち鍵盤から手を離すのにも、いちいち腕を前後に動かすにも、いちいち親指を開くのにも、なんにしても、そのすべてにエネルギー、すなわち、力を使わないとならない。
その無駄な力を極力排除して、自然に、エルゴノミックにピアノを弾くってのが、重量奏法の根幹なのに、逆に動きをプラスするって、なんか違う・・・
しかも、レッスン開始時の最優先事項のお約束、
・弾き方を強要しない
・ツェルニーを一刻も早く終わりたい
・手などを傷めないようにしたい
ってのが、ことごとく破られてしまった。もうダメだ。過去の経験から言っても、これは失敗だ。傷が浅いうちに引き上げねば。。
賢者は歴史から学び愚者は経験から学ぶ、とか言われているが、愚者で結構!
自分の経験から導き出された結果にしたがい、チャッキリ先生に、辞めるとメールした。
つづく
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