いわき市に住む祖母の容体が悪くなった。
ギリギリ大正生まれで高齢の祖母なのだけど、昨年ガンの手術をした後、もう全身に転移して今は末期。入院していても、コロナのせいで面会もできなかったが、いよいよ最後の時が近づいたとの事で、個室の療養病棟に移してもらえる事になり、時間と人数に限定があったが面会が可能になった。
もう残された時がわずかで、意識もあるのかどうか定かでは無い状態ながら、最後のお別れをするなら今しかない状態。コロナもひどい状況になってきているし、さんざん迷ったが、いわきへ行くことにした。
とは言っても、新幹線で行くのはリスクが高すぎるので、非常事態宣言発令地を避け、自分の車で地方空港まで行き、そこからいわき市に程近い空港までは飛行機、そこからはレンタカーでいわきへ入るルートとした。これが、すれ違う人数が最小となる方法とは言え、第4波が猛威を振るっているコロナ禍中、感染も覚悟の旅。
万障繰り合わせ及び万難を排しとはまさにこの事。帰宅後しばらくの間は仕事も含めて人と会わずに済むよう、策を講じ根回しをし、考えつく限りの準備をして出発した。
せっかく遠方から出張って行ったとはいえ、コロナ禍のため病院には毎日行くことはできず、結果として一日だけ空白の日ができてしまった。社会情勢上、観光気分でプラプラする訳にもいかないし、そもそも色んな施設も閉鎖中、営業自粛要請が出ていて外食すらできないレベルだったから、どうしようかとあぐねたが、福島第一原発のあたりに行こうと思い立つ。
原発に行こうなんて、もともと計画もしてなかったから、何の情報もプランも当ても無い状態で、とりあえず国道6号線を進む。
6号線を走っていると、いわき市内も抜けてないうちに、津波到達地点とかいう案内が出てくる。この先、何十キロと津波に襲われたエリアに入ると言うことだ。
いわきを抜け、広野町に入り、Jヴィレッジなんかの案内がある辺りまでは、時折被害の気配を感じるくらいで車も人も多く、復興が進んでいるのを感じる状態だったのだが、楢葉町にさしかかると、一気に車も少なくなってきた。でも、昔はラブホテルであったと思われる建物が、そのまま作業員のホテルになっていたり、あちこちに「作業員」と書かれた看板が散見され、特殊ながら経済活動が行われているようだ。
さらに進むと道の駅が営業中の様だったので、取り敢えず寄ってみる。昭和な雰囲気のただよう、何の変哲もない建物。中身も、日本中どこにでもあるような感じ。特に購買意欲がそそられるような物もない挙句、観光地価格のものばかり。なんか、人気があるらしい何とかコロッケ、みたいなものの案内があって観光客が外で齧りついているが、買おうと思ったら売り切れ。朝から何も食べていないので一応レストランに行ってみるも、デカデカと看板やらポップやらがある割には、券売機へ行ってみると、売り切れ。
古いんだか新しいんだかさっぱりわからない建物は、いつ建てられたのかと思って定礎プレートを探してみると、平成初期と平成中期の建物で、震災前に原発マネーで作られたものらしかった。震災後ならいざ知らず、震災前なんて、観光客が押し寄せるようなところじゃ無かったはずなのに、取り敢えずお金貰えるから作っておこう、といった雰囲気がプンプンの所に感じた。
食事には有り付けなかったが、地元の婦人たちが作った風の饅頭と草餅を購入し、車内でパクつきながら、6号線をさらに北上する。ちなみに饅頭は味噌饅頭で、田舎臭さ丸出しではあるが非常に素朴な味でおいしかった。
国道を進んでいくと、道路状態もボロボロになってきて、あちこちに「ただいまの放射線量」という電光掲示が設置され出して来た。そして人気もなく交通量も急に少なくなってきたと思ったら、帰還困難区域に突入。
良く知らなかったのだが、帰還困難区域の中を国道が通っており、国道そのものは通れるが、他は立ち入ることができない。交差点という交差点には警察官が立っていて、監視をしている。交差点じゃなくても、かつては営業していたであろう様々な施設や店なんかにも、道路との接続部分にはすべて厳重なバリケードが作られている。「この先、立ち入り禁止、キープアウト」的な感じじゃなく、ほんと、物理的に入るのが不可能な感じの、頑丈かつ恒久的なバリケード、つか、ほとんどガードレールと同じ。そして、その先に首狩り族の村があるのか?と思ってしまうような、人の背より高い金属の柵で覆われた、かつての商業施設。
コンビニなんかも、敷地はバリケードで囲われ、さらに店舗のガラス部分はすべて、板で覆われている。家電量販店なども、駐車場に数台車が残った状態で完全閉鎖。ガソリンスタンドは屋根が崩れボロボロ。大手衣料チェーン店の店は、店内に商品の服がつるされたままで10年経った感じ・・・・本当に、ある日突然、急に街の時が止まったのだと思い知らされる。
写真に収めたかったが、ちょっと車を停めておけるようなところなど皆無。交差点には警察官、もしくは「通行許可証確認」的な感じで、ほんと、駐車はおろか停車もできない。車が停めれそうなほんのわずかなスペースもつぶしてある。おそらく、私のように写真の1枚でも、と考える不届きな輩が多いのだろう、そんな事はさせない、一刻も早く立ち去れ!という雰囲気が満ち満ち溢れ、とにかく厳重、の一言。
ほとんど対向車とすれ違うことも無く、福島第一原発周辺を通り、帰還困難区域を抜けると、「特定復興再生拠点区域」という案内が出てきたので、そこへ向かう事に。
そこに着いてみると、広大かつ荒涼とした荒れ地の中にいくつかの大きな箱モノが立ち並ぶ、異様なエリア。海の方角には海は見えず、万里の長城(見たことないけど)のようなコンクリートの壁が立ちはだかる空間。
ろくろく人も居ない。
取り敢えず、腹も減っているので大きな箱モノの一つへ入ってみると、店のブースはいくつかあるが、営業している食べ物屋は一件だけ。日曜日なのに閉まっている。一体いつ営業するんだろうか・・・
フードコート的な飲食スペースに、客が一桁。その少ない客は全員同じものを食べているみたいだ。券売機へ行ってみると、どうやら「なみえ焼きそば」というものの専門店?のようだ。他に選びようも無いので、この焼きそばと、当店一押しです!な感じのコロッケを注文する。
客が少ない割には、大分待たされた。厨房をチラチラ見ても、そんなに手の込んだ調理をしているとは思えなかったが、25分後くらいにようやく呼ばれる。コロッケには醤油をかけて、と言われたので醤油を少し垂らし、席へ。
自分は、「なみえ焼きそば」なるものの存在は殆ど知らなかった、というか、そういえばB級グルメみたいなので1位とかっていうニュースを見たような・・・・程度。いざ目の前に来てみると、なんか具が少ない貧相な、ソース焼うどんみたいな感じ。なぜか一味なのか七味なのかの小袋も添えてある。調べてみると、
なみえ焼きそば(なみえやきそば)は、福島県双葉郡浪江町で生まれた焼きそばで、ご当地グルメの一つである。太めの麺が特徴で、具はモヤシと豚肉。ラードで炒め、濃厚なソースで味付けされる。一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされる。・・・・・wikiより
ということだそうだ。
いざ実食。
麺は太目、というより殆どうどん。しかも、スーパーなどで30円くらいで売られている袋に入った茹でうどんと同じなんじゃないか?と思うほど。ぶよぶよと柔らかく、歯ごたえもコシも一切感じられない。そして、多めに入っているモヤシのせいか、水分が多く、ベチャベチャしていて、「焼き」うどんというより、「汁なしソースうどん」と言った感じ。豚肉はバラ肉のスライスが三枚乗っていて、濃厚ソースとやらは全然濃厚じゃなく、むしろソース感は薄いと思った。濃厚!とか強調しているから、関西のどろソース並みなのかと思ったが、ボトルに入っているソースをみると(隣の売店でなみえ焼きそばソースが売られていた)、液体に透明感すら感じるレベル。
以上、説明終わり!なほど。具はwikiにある通りこれだけ。コロッケはサトイモを使ったコロッケで、普通に美味しいというレベルで特筆することも無かった。このセットで1000円ほど。正直、屋台なら500円で売られているんじゃね?ってくらい。
あくまで個人的な感想だが、「大震災」という調味料が無かったら、話題になる事も、グランプリを取ることも無かっただろうと思う。
しかも、この箱モノ建物は非常に立派。色んなスペースがふんだんにあり、大きく広い。トイレに行ってみたが、トイレそのものはいわずもがな、廊下などのスペースも広く天井も高く、便器は除菌水で自動洗浄するタイプだったし、びっくりしたのは、手洗い。ボタンが付いており、お好みで湯水を切り替えられるタイプ。こんなの、公共のトイレじゃ初めて見た。どんだけコストがかかっているのか。。
この建物の隣には、災害を伝承していくというコンセプトの建物があったので、一応行ってみる。これまた非常に大きく立派な建物なのだが、展示内容としては、災害の写真パネルに映像、一日に数回は語り部が直に話をしてくれるらしい。ま、言わば、ありがちな内容。
なのに、入場料が600円かかるという。写真や動画などは、ネット上に溢れかえっているものをいつでも好きなだけ見られるし、語り部の話なども、正直テレビ番組などで食傷気味なほど観ているというのに、わざわざ現地に足を運んでくれた人に既視感を帯びた情報を押し付けた挙句、金を徴収するという・・・しかも、これらの必要以上な建物や運営コストだって、日本国民全体が負担している公金で賄われているはず。。それなのに、さらに金を取るなんて、いったいどんだけよ?と思う。
なんか、一気に興ざめして、金も払わず入館もせずに退散した。
そのまま国道6号線をさらに北上し、道の駅へ。建物は新しく立派。中身も、まぁ全国的に見ても遜色無いレベルに充実していた。ここでも多少のものを購入したが、びっくりしたのは、最初に行った道の駅で購入した草餅と味噌饅頭と同じものが、さっきのとこより安く売られていた事。・・・つか、さっきの道の駅では定価より高く売っていたと思われる。
いったいどういうことよ?
せっかく来てくれた人に、他所で安く買えるものを高く売りつけるとは。
でも、世の中じゃ、震災地域・被害者に対してモノをいうなど、タブー扱いされているし、文句も言えないし、言われないだろうし、また言わせない雰囲気なのだろう。
祖母の住んでいる、いわき市には平均すると3年に一回くらい行っているが、そのいわきでも震災直後から大問題になっている。
福島第一原発にからむ避難民は、多くがいわき市へ移動し生活しているが、住民票を移した訳では無いので、いわき市民ではない。でも、いわき市で万人単位で生活しているので、コストは発生する。そのコストは、正式ないわき市民が負担する。そして避難民には4人家族で1億円ともいわれる補償金がすでに支払われており、現在も支払われ続けている。しかも、仕事をすると補償金が減額されるため、仕事をしてない人が大多数と聞く。
家族全員誰も仕事をしていないけど金はあるので、平日朝からレジャーにいそしんでいる避難民。いわきじゃ、下手に買い物をしようと思うと、大きなショッピングモールなどは駐車場にも不自由するほど人がいるので、本来以上にクタクタになる。
そして、避難民は家を建てる。いわき市に。お金はあるので周辺相場以上の立派な家を建てる。そのおかげで、いわき市の不動産相場は跳ね上がり、従来のいわき市民はおいそれと土地も買えず家も持てない。いわき市では住宅地が足りなくなり、丘の上、山の上なども切り開かれて宅地になり、新しい立派な家が立ち並び、高級車が跋扈。でも、いわき市民じゃないから、いわき市に税金は払わない。。。
でもでも、避難民様だから、表立って文句は言えないらしい。
いわき市では、「先住民」というカテゴリーが出来ているらしい。避難民じゃなく、もともとのいわき市民を指す言葉だ。こんな言葉が生まれてしまうほど、いわき市は荒れている。車で市内を移動していても、なんかギスギスしていてせわしない。今回、レンタカーでいわき市内を動いたが、レンタカーのせいか県外ナンバーのせいか、あちこちで嫌がらせをされた。
なんか、地域全体が、常に疑心暗鬼にとらわれているようだ。
こいつは誰だ?避難民か?先住民か?みたいな・・・・
今回、初めて原発あたりに行ってみて、いわき市民が感じている不条理な部分を、ほんの少しだが垣間見た気がする。
コメント